アクセス可能性

IBM Webアクセシビリティ認定アドバイザを明日受験…、というのを口実にしてアクセシビリティの復習をする日々。試験の方は、試験用の虎の巻とも言えるテキストをIBM様から買って何度か読んだので大丈夫だと思いますが、ここ二年くらいアクセシビリティの初歩の初歩を頭に入れながらサイトを制作してきて、アクセシビリティ即ち十数のルールを守ること、という訳ではないことがじわじわと体で理解できてきたので、ここらで一旦また頭の中に戻って考えながら復習。具体化の極みであるルールで覚えると、技術とか環境が進歩するとその都度追いかけないといけないですもんね。

というわけで、よく「コンテンツと構造の分離」といいますが、とりあえず自分の言葉では「メディアと伝えたいことの分離」というように理解してみることにした。うむ。小難しい。

メディア(媒体、運び屋)
色、形、音、声、レイアウト、文章の構造、触感、匂い、雰囲気、髪型、服装、等々等々…
伝えたいこと(中身)
そのまんま

形の無い「自分の伝えたいこと」をなんとかして具体化して他の人に伝えるために、僕らは様々な「メディア」を利用するけれども、その多様な「メディア」は即ち誰かに感知されるためにあるわけだから、逆に取ればそれ以上に多様性をもった受け取り手の感覚や条件や環境によって、全然感知されなかったり、されかたに程度の差が出てしまう。

なので僕らは普通会話するとき、言葉を音にするだけでなく、抑揚を付けたり、身振り手振りをつけたり、表情の変化という複数の「メディア」を種々選択して、「伝えたいこと」が出来る限り正しく伝わるよう努力しているわけで、それこそがアクセシビリティへの努力そのものであるわけです。

結局ウェブ上でもそれは同じで、ユーザは本当に想像仕切れないくらいの「あるメディアに対するハンディキャップ、あるいは逆に強い感受性」の多様性を持っているわけだから、「伝えたいこと」は出来る限り裸にして置いておくと同時に出来る限り多くのメディアを用意して(あるいは制作者が用意しなくても、ユーザーエージェントが用意してくれてもいいし)、ユーザの環境やサイトの目的に合わせてメディアを選択したり、ユーザに選択してもらいながら「伝えたいこと」を伝えていこう!。

ということなのだな、とやっと理解した!。僕は、どうしてもアクセシビリティとはこれまで「コードの使い回しが効く」とかそういう実際のプログラム的な側面から理解し向き合ってきた経緯もあるので、こうした理解はためになるのだった。「スタイルと構造の分離」だけでなく、「構造とコンテンツの分離」も言われるようになってきた流れもつかめて一石二鳥である。
「ここが見出し」「ここが段落」なんていう区別(構造)も一つのメディアであり、つまりハンディキャップの対象になり得る訳なんだなぁ。認知障害の方とか。

また、ウェブアクセシビリティガイドラインなどという類のものが、あるメディアを抑制する、禁止するためにあるものではないことも身に染みてわかるし、「高度に洗練された、手の込んだデザイン」というメディアによって、より良く伝えることのできるものもあるはずだということだってわかってくる(もちろんそのメディアを受容できない受け手にとって「伝えたいこと」をスポイルする実装、すなわち他のメディアの伝達行為を邪魔する具体化の形態になっていてはしょうがない)。

いくらがんばっておしゃれしても、目の見えない人には伝わらないんですよね。そしてそこで「メディア」と「伝えたいこと」の分離度が問われて、そのへんがぐちゃぐちゃになって自分でもわかっていないと、おしゃれ(メディア)の中に自分(伝えたいこと)が埋没してさっぱりアピール不足。おしゃれ度をわかってもらえないと、急に自分に何も無くなったような気がしてしまったり。

アクセシビリティ」、言葉そのものを捉えると、深いぜ…。